エンタメ系Pのネタ帳

エンタメコンテンツトレンドや、時事ネタ、ちょっとした流行など 世の中の面白い情報、アツいことを自分なりに噛み砕いたネタ帳。その他、食べ歩き、料理、言語学習、韓国ネタなど、自分が熱くなれるネタも盛り込んでいきます。

コロナウィルスがもたらした私たちの距離感覚の撹乱

私は大学院時代にメディアコミュニケーション論の研究をしていました。主に、マーシャルマクルーハン時代のグローバルビレッジ(※世界のグローバル化によって、地球全体がひとつの村のように緊密な関係をもつようになったこと)という概念を、デジタルコミュニケーション時代にあてはめて、人々のコミュニケーションにどのような変化をもたらすのか、というようなことが趣旨でした。今まさに世界中の人々の生活を一変させてしまったコロナウィルスのパンデミックによって、それが新たなチャプターに突入すべき事態にあるように思え、この記事を書くことにしました。

 

メディアの発展によって、言語やその他のコミュニケーションを含めた「情報」は、時間や物理的距離を跨ぐものになり、マスメディアによってそれが世の中を動かす力をもち、それがさらにインターネットとIT技術によって加速され、誰にとってもその情報を受信だけでなく、発信、拡散できるのが当たり前になりました。また、航空技術の発達で、そもそもの物理的な距離でさえも跨ぎ、今、人々の距離の感覚は大きく変わってきています。今日はこの2つ ー デジタルコミュニケーションの進化と、モビリティ技術の進化によって大きく影響を受けている「人々の距離の感覚」に、コロナウィルスパンデミックの世界的自主隔離がもたらす撹乱について書きたいと思います。

 

「世界が小さくなった。」私はこれまで生きてきた37年間の中で、幾度となくこれを体感してきました。地球の裏側にいる人々とも瞬時につながる環境。一昔前までは、電子メールのみ、または国際電話があり高額な費用が掛かっていたものの、今ではそんなことも一切気にせず、スマホのコミュニケーションアプリで、24時間どこにいても手軽に、そう、昔で言う市内局番にかけるよりも安く、世界中の人々とつながることができます。

 

SNSの爆発的な普及により、人々はもはや、物理的なコミュニティと同じくらいか、それ以上に、オンラインでのコミュニティに属している数が多いのではないでしょうか。それはつまり、地理的な共通点ではないコミュニティ。オープンなコミュニティやクローズドなコミュニティまで、目的や話題に応じて複数に属していることが多いかと思います(最近ではオンラインサロンも盛んですね)。共通の趣味や、共通の志、友達の輪などの発展がオンライン上で、デジタル的に人と人とのかかわりを形成する世の中です。同じマンションの隣人よりも、世界のどこかの顔も見たことがない人と精神的に深くかかわっているような、そんな距離感の世界ができたということかもしれません。どこにいてもつながってしまう、追いかけられてしまうような逃げ場のない世界でもあります。スマホの充電切れ、電波の届かない場所、もしくは自ら電源を落とすなど、突如として断絶される(または切断する)ことはできますが、そうしたらそうしたで今度は、突然見たこともないような砂漠に放り込まれたような、心許ない感覚を覚えるのではないでしょうか。

 

一方で、もしもこのコロナ時代に、デジタルメディアがなかったらどうでしょうか?

強制的に人々は「今ここ」にいるでしかなく、自分の世界は家の中や近所に急激に狭まることでしょう。人との接触が禁じられている中、少しでもコミュニケーションがとれるすぐ近くにいる人の重要性が高まり、その人々との情報交換が盛んになり、同時に、共通点などを探して少しでも落ち着きたいと思うのではないかと想像します。全国規模の物流や流通が滞り、多くの生活必需品が手に入らなくなるでしょう。社会に多大な不安とストレスが蔓延してしまうことだと思います。そう考えると、家に巣ごもりしていてもこれだけ普通に(最低限)生活していられること、メディアを通じて世界を見ること、情報を取りに行くこと、人とコミュニケーションをとることができるのは、精神的自由を感じますし、先進技術の恩恵を享受しているということは再認識されます(※反面、これによって生じている社会の歪みもどこかで論じるべきではあるが)。人々の意志や行動がデジタルメディアに乗り、空間を超え経済活動が続いていることで、この程度の混乱で済んでいると言えるでしょう。

 

コロナウィルスによって、日常のコミュニケーションのデジタル化はより一層に加速することとなりました。世界中の会社はリモートワーク環境を強いられ、今までそのような環境を拒絶し、頑なに古き良きアナログ的価値観を守ろうとしていた層ですら、順応せざるを得ない時代がきました。デジタル化のボトムアップという側面も大きかったと思います。オンライン会議、ペーパーレス化、電子申請、、、などのインフラ整備が必要不可欠に。しかしながら一方で、いざ本腰を入れて社会全体がそのような試行錯誤をしてみると、それまで見えていなかった色々なことが分かってきました。全部が全部オンラインに置き換えられるかというと、そうでもなく、むしろ無理やりすべてをオンラインで片づけようとするとストレスになり、かえってそれが人々のコロナ疲れを招いている原因になっているともいえるでしょう。今の技術、通信環境では、音声や映像が乱れることもあり、多少のタイムラグもあり、お互いの間合いみたいなものが見えずに、発言のタイミングが被って上手く噛みわないことも多いです。それによって、仕事において言えば、ビジネス相手との関係構築の初期段階や、利害が一致していない段階での交渉など、オンラインでは困難ですし、かえって事を複雑にしてしまう恐れもあります。また、エンタメの世界で言うと、ライブコンサートやイベントなども、生配信やオンライン開催ということを模索するものの、やはり逆に圧倒的にリアルの臨場感にはかなわないことを思い知らされています。むしろ今ライブエンタメ業界が向かおうとしている方向性でいうと、リアルイベントのメタファーではなく、オンライン開催はオンライン開催でしかできないこと、その楽しみ方を追求すべき、という流れになっています。コロナウィルスがきっかけで、デジタルコミュニケーションの意味を見直し、オンラインに代えられるものと、そうでないものが明確になったと考えます。やはりそこには、時間とお金を投資してまで、距離という物理的な障壁を乗り越えるほどの、リアル&ライブならでは価値があるということが、再評価されたきっかけになったと思います。

 

それでは、物理的な移動、つまり人々のモビリティに関してはどうでしょう。コロナウィルスのパンデミックを抑えるための最大の動きといえるのは、国際便の運航を止めたことでしょう。全世界的にマイナス90%以上の減便と言われています。空港は飛ぶ予定のない飛行機で埋まり、勢い良く成長していたLCCも次々と財政破綻、大規模の航空会社も政府による財政再建だよりになっている状況です。こんな世の中をだれが想像できたでしょうか。これによって、それまで毎月2~3回ほど海外出張していた私の生活も大きく変えました。ただ、それ以上に変えたのは、私の距離の感覚でした。小さくなったと思っていた世界が、急に途方もなく大きく感じました。すべての仕事をオンライン会議やメールで進めざるを得なくなりましたが、前述のように新たなビジネス開拓やイベントの仕事などは困難で、結局全て止まってしまっています。世界中の国と国との間を自由に行き来できるのが当たり前になっていた私の世界観が崩れさり、そのせいで、私のビジネスも未だにいつ元に戻るのか目途が立たない状況です。

 

これは考えれば考えるほど興味深いものです。これまでは例えば、飛行機とバスを乗り継いでしか到着できない国内出張よりも、韓国・ソウル出張のほうが早く、安く、それによって圧倒的な精神的距離の近さがありました。極端なことを言うと、東京からわずか1300キロ先の北朝鮮に行くよりも、1万キロ以上離れているニューヨークに行くほうがはるかに近いという感覚です。それが、ひとたび世界的パンデミック感染症が人々の往来を閉ざし、すべての外国が北朝鮮と同じくらい「遠い国」になってしまったのです。もちろん、デジタルコミュニケーションは遮られていないので、実際は北朝鮮ほどではないですが、「世界が小さくなった」という距離感覚は、あくまでも「政治的、科学技術的、そして疫学的に安定」した状態においてのみ成立する、もろく危ういものであることを思い知らされたのでした。これはコロナが収束したとしても、またいつでも起こりうる断絶、そして現代人にとっての危機であることを認識しておかねばなりません。

 

おそらく、コロナウィルスに関しては、あと1年以内には、ワクチンや治療薬が開発され、一般に流通し、収束を向かうであろうと思います。そこで迎えるニューノーマルといわれている新しい世界が今、色々なところで語られています。その中でも私が確信しているのは、デジタル化はこのまま加速し続けつつも、オンラインとリアルの利点をそれぞれ明確にし最大化する社会です。元の活気を取り戻すグローバル化においても、それが把握された前提で二極化して進んでいくのではないかと思います。電話会議も、通信技術の革新で超低遅延の安定した接続が成され、VRやホログラムで平面から立体的に表現され、よりリアルに近しいオンライン打ち合わせが可能になることでしょう。それによって人々の感覚はますます場所の感覚が薄れていく、、という流れは、以前までは止まらないと考えていましたが、今回の世界的なコロナショックによって、必ずしもそうではないということを気づかされたと思います。技術が人間のコミュニケーションや人間の存在自体をメディアに乗せてバーチャルにグローバルにつなげつつも、同時にいつも「今ここ」にいる自分と隣人と向き合いながら進化していくしかないように思えます。



『梨泰院クラス』はスゴかった!

コロナ自粛期間のNetflix二大巨塔!

愛の不時着の次はもちろん、梨泰院クラス!!

 

ストーリー自体を紹介しているブログはほかにもたくさんあると思いますので、この記事では、この梨泰院クラスがどうしてこんなに素晴らしいか、その魅力は何かを、内容面と外堀面ふくめて、自分なりにかみ砕き、ヒットの理由を分析してみました。

 

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写真: JTBC公式

 

①梨泰院(イテウォン)という舞台
よく東京でいうと六本木で例えられることが多いと思います。もともと米軍の基地があって栄えた街で、諸外国の大使館なども多く存在し、非常に国際的。韓国のほかの地区とは異色の輝きを放っている場所です。六本木と同じく、英語やそのほかの国の言葉が飛び交い「えっ、ここどこの国だっけ」という錯覚に陥ることもあります。このドラマの登場キャラクターたちのファッションや髪形なども、奇抜ですね。そんなリベラルな街の魅力に魅かれ、多くの韓国の若者たちも、クラブやおしゃれなお店に夜な夜な繰り出していきます。韓国の子たちがタンバムのようなルーフトップカフェ/バーで映え写真撮ってるのをインスタでよく見かけます。

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セロイが初めてスアに連れられて梨泰院に降り立った時の衝撃。保守的な社会、財閥に牛耳られた経済、貧困階層、、、そういった韓国社会問題の中において、梨泰院だけは全く異質で、果てしない自由と大きな可能性に満ち、どん底から韓国No1に成り上がろうという野望を持ったセロイには、ある種アメリカンドリーム的な匂いをこの街に感じたのではないかと思います。本作品の一番の強いコンセプトは、私はそういうことだと思っています。

 

また、梨泰院クラスは、これまで人々が抱いていた韓国ドラマのイメージを一新したのではないでしょうか?
コロナ自粛とNetflixの配信力も相まって、日本をはじめ多くの国の人がこのドラマを見ている中、世界に向けて、おしゃれで、クールで、ダイバーシティ全開の最新韓国の若者スタイルを映す社会の窓のようなドラマになりました。これもまた新しい韓ドラファン層を広げた原因かと思います。(実際に私の周りでも、普段あまり韓国ドラマ見ない人たちもこれきっかけでハマった人が数多くいます。)

 

ともかく、今後コロナがおさまったら、ロケ地巡りが大変盛り上がると思いますよ!!私も早く行きたい!!

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※ロケ地巡りの詳しい行き方やMapは、ソウル在住ブロガーのMisaさんのサイトに。
https://onemore-korea.site/contents/drama-itaewonclass-200410/

 

 

②ウェブ漫画原作であること

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写真:文化日報よりhttp://m.munhwa.com/mnews/view.html?no=2020021201032139179001

この梨泰院クラスですが、韓国企業カカオが運営する「Daum WEBTOON」から排出されたWebマンガが原作となっています。韓国のWebマンガが、一般的に流行り始めたのは(私の感覚では)2014年ころからでしょうか。Webtoonというサービスを私の周りの韓国人が私にしきりに勧めてくるようになりました。

※WebToon(ウェブトゥーン)とは、主にスマートフォンでの閲覧を想定して作られたコミックで、「オールカラー」「縦スクロール」という特徴があります。スマートフォンやパソコンでマンガを読む習慣が広がっている今、韓国・台湾・タイなどのアジアをはじめ、北米など、国際的に人気が高まっています。
<引用>カカオジャパンプレスリリース 2020年1月14日

それがここ5・6年の間にあれよあれよと、若者からサラリーマンまでいろんな人が読むようになりました。それに比例して、このWebマンガ文化自体が韓国中に浸透して、クオリティ競争力が高まり、より面白い作品、芯のしっかりした物語がどんどん出てきました。

 

やはり、ドラマにしろ、映画にしろ、アニメにしろ、原作脚本の面白さが根底にあるもの。私は普段日本のアニメを海外に販売するような仕事もすることが多いのですが、そこで日本アニメがなぜ面白いのか、という話題になったときに話すことがあります。それは「アメリカがオリンピックで強い理由に近い」ということです。どういう意味かというと、競技人口が多い、いわば競争ピラミットのすそ野の広さが、その頂点にたどり着く者の強さを表しているということです。日本のアニメで言うとそれは、国内最高峰週刊マンガ雑誌・少年ジャンプというピラミットです。その頂点が、今や世界的大人気の「ワンピース」や「ドラゴンボール」「NARUTO」などです。今回の梨泰院クラス大ヒットの理由の一つは、その原作力の強さ、またそれをバックアップしたWebマンガ文化の発展ではないかと考えています。

 

半沢直樹的な大逆転×仲間と戦う強さ
このドラマを見る前に、さきに見た人たちから韓国版半沢直樹みたいな感じ、という声が多く聞こえました。たしかに、長い年月をかけてどん底から這い上がったビジネス復讐劇。倍返し、100倍返し、容赦なき程に徹底的に復讐、、、

 

確かにそうですね、ただ梨泰院クラスの場合はそこに「一緒に戦う仲間の強さ」と、そんな「仲間を自然に引き込むパクセロイのキャラクター」が際立っていることで、より多くの人の支持を集めているのではないでしょうか?

 

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写真: JTBCモバイルニュース

 

不器用なまでに実直に、曲がったことは許せない。何よりも、仲間が大切で、「人と信頼」が彼の立ち上げたIC社の企業哲学。また、半沢直樹と違って、パクセロイ一人の力ではなく、IQ162でSNSのフォロワー数76万人のインフルエンサーのイソの全面的(恋に盲目的)な支え(→超優秀なマーケティングマネージャーの役割)であったり、そもそも自分の人生転落のきっかけになった高校時代にセロイがかばったいじめられっ子が、凄腕のファンドマネージャーでありCFO的な存在だったり、最初は敵側に居たカンミンジョン専務を味方につけ、強力な経営アドバイザーとなったり。極めつけは、ただの借金取りのバーさんと思った女性が・・・(ネタばれ禁止www)

パクセロイの魅力に魅かれ、いろんな強力な仲間が徐々に一緒になって戦っていくというストーリー。視聴者もまた同じようにパクセロイワールドに引き込まれていったのだと思います。

 

最後に余談ですがこのパクセロイ、ワンピースでいうルフィをシャイにしたようなキャラですね。「海賊王に俺はなる!」=「大韓民国No1になる!」という大きなビジョンを恥ずかしげもなく宣言し、それに賛同する仲間たち。仲間が大切で、自分一人でというよりは、みんなで力を合わせる強さを信じている点。また、多少の裏切りの場面においても、ルフィで言う「俺たちもう仲間だろ?」的なノリで、仲間を許す寛容の心・・・

 

愛の不時着に続き、梨泰院クラス。全く違うテイストの2作品が連続で、こんなスマッシュヒットなんて、本当に最近のNetflixオリジナルの制作力は目を見張るものがありますね。さぁ、これに続く作品は、今後どんなものが出てくるか、ますます期待が高まりますね!!

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

『愛の不時着』大ヒットの理由~ほかの韓国ドラマとの違い

久々に来ましたね、韓国ドラマ旋風再来。


もちろんコロナで自粛在宅期間ということもありますが、空前の大ヒット!
そしてNetflixオリジナルのクオリティの高さ。Netflixの日本での公開から3か月たった今なおTop1(5月18日時点)に君臨している「愛の不時着」

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<写真:tvN公式HP>

 

日本でNetflixで公開される前に韓国のTvnにて今年の2月まで放送されていたのですが、
韓国での視聴率においてあの「トッケビ」を超えたとのことです。

 

ジャンルとしては、これは決してアクションではない、ヒューマンドラマだと思います。もしくは2つの時代を行きかうようなSFっぽい要素さえ感じられます。

 

また、見る前は、北朝鮮の兵士と韓国の財閥の娘という現代版ロミオとジュリエットというわかりやすい構図で表現されることが多いですが、実際はもっと見どころがだくさんある内容の濃いドラマだと思います。


これまでの韓国ドラマといえば!というような・・・

→これでもか!というほど容赦なきラブロマンス、
→エグイくらいに残酷、でも感情移入させられるサスペンス、
→もしくは、どろどろ血みどろの復讐劇、、、

そんな枠にははめられない、本作「愛の不時着」の魅力を考察し、ほかの韓国ドラマと違う特筆すべき点をまとめたいと思います。

 

 

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<写真:tvN公式HP>

 

北朝鮮のリアルなイメージ
やはりこのドラマがほかの作品と大きく抜きんでる要素となっているのは、北朝鮮のリアルをテーマにしているところかと思います。

日本人にとっても韓国人にとっても、いつもニュースの報道でしか聞いたことのない北朝鮮。ミサイルとか金正恩とか拉致とか、何やら恐ろしいイメージばかりが先行しているけど、もちろん彼らも同じ空の下に暮らしている人間。こうやってみてみると、当たり前ですが、僕らと同じように、何かに一生懸命に、何かに笑い、何かに憂い、日々をひたすらに暮らしているということです。人が人を思う優しさだったり温もりだったり、テクノロジーが遅れている分、いろんなことがシンプルに、実直に、人々が触れ合っていて、心に響いてきました。

それは現代社会に失われた「人間らしさ」ではないかとすら思えます。同じ時代に生きてはいるものの、独裁政権のもと外界から遮断された社会。冷蔵庫も炊飯器もコーヒーメーカもない、日本で言ったら40年、50年前のような状態でしょうか。そんなタイムスリップ感、異次元の世界を垣間見ているような、山崎貴監督の映画Alwaysを見ているような感覚に近かったです。


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<写真:tvN公式HP>

北朝鮮の描写がどれだけ実情に即しているのか、あんなのドラマだから美化しすぎて、ぜんぶ嘘っぱちじゃないか??、、、という声が沢山聞こえてくるのは、皆行ったことのないところですし、当然です。しかし、今回のドラマ制作スタッフは実際に北朝鮮から脱北してきた脚本家を入れているようで、もちろんドラマなのでストーリー上、多少脚色いる部分はあるにせよ、これまでの北朝鮮をテーマにしたドラマや映画よりも格段に忠実だという評価を韓国内でも受けているようです。

 

②シリアスな中のコミカルさ
南北問題、、、普通に扱ってしまうとセンシティブな内容だし、すごく暗くなってしまうテーマだと思います。実際に北朝鮮テーマの作品は数多くありますが、とてもいい作品ではあってもやはり、ものすごく暗いことが多いです。。。

 

迫害を受けて命からがらに逃げてきたストーリー。

北から送られたスパイの物語。

政治的な大きな事件があるなかで揺れ動く二国間。。。などなど


そんな中で、この作品に関しては、もっともっと身近に、北朝鮮の実際の人々、普通の生活を描いている作品なのだと思います。常にどこかしら、人間らしさがコミカルにわざとらしくなく表現されています。主人公の部下の北朝鮮兵たち一人一人のキャラが立っていて、物語が進むにあたって、彼らへの感情移入がものすごくこのドラマへ引き込まれる要素であったりします。

主人公のリジョンヒョクとユンセリの恋模様以外の部分で、そういった兵士たちの想いや北朝鮮の村人たちの温かいやさしさに涙涙しながら、一方で彼らのちょっとおっちょこちょいだったり、おばかだったり、ちょっとずるかったりするところに人間らしさと親しみがわき、このドラマの世界観から抜け出せない状態になるほどです。

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<写真:tvN公式HP>

 

これは完全な余談ですが実際、韓国ドラマに限らず、鬼滅の刃のように、悲劇的なストーリの中のある種「救い」のようにコミカルやちょっとしたギャグみたいなものが、最近のヒット作の要素にあるような気がしています。

 

③サイドストーリーの太さ

もともとユンセリの敵というか、行く手を阻む存在であった詐欺師で国外逃亡のクスンジュンと、リジョンヒョクの婚約者であるソダン。本来であれば完全に交わりあうことのない2つの人生。彼らがこの物語が進む中で、いろんな微妙なコミュニケーションの駆け引きをしながら、少しずつ少しずつひかれあう姿はこのドラマの見どころです。そして、最後の予想だにしない結末。。最終的に主人公2人の行く末と同じくらいに、ハラハラとし、胸がキュンキュンとするような展開になりました。

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<写真:tvN公式HP>

最後に、これは個人的ですが、韓国語を勉強してある程度はなせる私としては、ソダン北朝鮮語に完全にトリコになりました。。。究極のツンデレというか、北朝鮮語で形式ばった敬語スタイルを使いながら、すごいきつい感じで話すんですが。これがまた逆にすごくかわいいというか。。。このソダン役のソジヘの映像をYoutubeで後から見て、「あ、普通に韓国語しゃべってる!!」って、当たり前ですが、すごく新鮮でした笑。それくらいこの人の演技が素晴らしかった、ということで。

 

とにかく今まで100本近くの韓国映画とドラマを見ている私として、TOP3に入る作品です。夜中に一人で最後まで見切りましたが、泣ける、とかそういうレベルじゃなくて、最後の3話くらいはずっと、嗚咽レベルです。すでに多くの人が今そうなっているように、愛の不時着ロスになっています。圧倒的におすすめ作品ですので、ぜひ。

映画『パラサイト』のチャパグリ作ってみた

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引用元: 映画公式サイトTOPページ

 

外出規制が出る前に最後に映画館に観に行った、パラサイト。

韓国映画で外国映画で初のアカデミー賞の作品賞を取って大いに盛り上がったのは記憶に新しいですね。

 

そのなかでも名場面の一つ、金持ち一家がキャンプ先から急遽帰ってくる中、留守の家でどんちゃん騒ぎしていた家政婦のお母さんが大慌てで作る料理「チャパグリ」が妙にシズルんですよね。

 

チャパグリ(짜파구리)は、2つの即席麺を混ぜ合わせた創作料理です。

짜파게티 チャパゲッティ ⇒ ジャージャー麺です

너구리 ノグリ ⇒ 韓国ちゃんぽん麺です

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 引用元: ノンシン公式ブログ

 

この2つの商品の文字をとって、チャパとグリでチャパグリ。実際の発音はチャッパグリに近いかもです。

 

草彅剛がYouTubeでつくってみた動画をあげてましたが、ネット上にもいくつかツクレポ記事を発見。

 

ただ、チャパゲッティもノグリも韓国食材屋さんに行かないとなかなか無いと思うのですが、私は今回、類似品でも作れるってことをレポートしようと思います。

 

要は、ジャージャー麺とチャンポン麺を茹でて湯切りして牛肉と炒めるだけ!笑

 

今回、近所の肉のハナマサでこちらの商品を揃えまさした。

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上の方の、맛짬뽕がノグリにあたるチャンポン麺

下の方、짜왕がチャパゲッティにあたるジャージャー麺です。

こちらのほうが割と日本に流通してるのではないかと思います。チャッパグリ作りたいけど食材が、と思ってる方はこちらでも是非試してみて下さい。

 

ここからは、超簡単レシピ!

ふたつの麺を袋から出して、かやくと一緒に、多めのお湯で4分半ゆでます。袋には5分とありますが、そのあと炒めるのでそれも加味して4分半に。かやくを入れ忘れずに。

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麺茹でてる間、牛肉を炒めます。あとで2人前の麺が入ることを想定して大きめのフライパンで。牛肉は特に塩胡椒は振りませんでしたが、柔らかく炒めるために料理酒少しいれました。

肉炒めながら、隣の鍋の麺をほぐすことも忘れずに。

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4分半茹で上がったら、大さじ2-3杯のゆで汁(これしないと水分無さすぎて混ぜづらいです)を肉のフライパンに入れつつ、麺を湯切りし、フライパンにあけます。

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即席麺についてくる粉末スープと油を全部入れて丁寧に混ぜます。すごい色なので服に跳ねると落としにくいかも。
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お皿に盛り付けて、薬味のネギや炒りごまなどをのせて完成!
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味の感想・・・
予想以上に美味しくてびっくり!いいですね、このジャンキー感w
韓国ジャージャー麺は、私には甘すぎるのであまり普段食べないですが、チャンポン麺の辛さと上手くマッチして、牛肉の旨味も相まって、美味です。
炭水化物と油と肉の罪悪感を減らすために、付け合わせにキムチとかと一緒にたべ、野菜も取るのもいいかもです。ビールとの相性も最高!

 

最後に・・・
最近映画とかでプロダクトプレイスメントでワザとらしく商品紹介しすぎて、作品自体がCM化しているということが韓国で問題になっていました。ワザとらしさや、ストーリーのなかでのその商品の必然性の無さみたいなものがマーケティング臭をプンプンさせて視聴者をうんざりさせてしまうということもあるとは思いますが、今回のチャパグリをつくって思ったのは、既存の製品そのままではなく、そこに見てる人が思わず試してみたくなるような「ひと工夫」や裏ワザメニューみたいな要素があったりするだけで大分違うのではないかなと、思いました。そういう意味だと、ほんだしとかマヨネーズのCMとかでやってる活用法提案みたいな内容とはマッチするかもしれませんね。

 

 

「自粛のお願い」とメディア

私が行きつけにしている浅草橋の居酒屋で、通常は毎週最低1回は通っている行きつけがあります。かれこれ行き始めて7~8年になりますが、仕事帰りにふらっと晩飯がてら。会社の人間や友人など連れていくこともありますが、基本は一人で行って、年の近い店長や、バイトの子たちと談笑をする、居心地のいい場所です。

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私の会社は、世間一般の会社より一足早く感染者が出たため、2月の後半から在宅勤務になってしまい、今現在かれこれ2か月以上も続いています。その間、もちろん飲みに行くこともままならず、だいぶ長いことお気に入りの店を放置してしまっていたので、久々にLINEで店長に連絡してみました。

 

すると、、、
「一旦休業のつもりで店を閉めましたが、もう二度と開かないと思います・・・」とのメッセージ。。

「会社自体も残せるかの瀬戸際。正直しんどいです。。。」とのこと。

 

衝撃でした。。。志村けんさんが亡くなった時と似た感覚、、コロナの危機がすぐそこまできたか、という感じですね。

私はそれまではコロナのせいでつぶれる店や会社があるとということは聞いていたものの、きっと今の段階でつぶれるということは、コロナ関係なく元々厳しい財政状況にあったのでは?ということを薄々思っていました。しかしながら、私の行きつけのこの店は、常に満席で料理もすべておいしく、控えめに言ったとしても繁盛していましたので、こんな店でも真面目に政府の方針にしたがって「自粛」をしてしまうと、家賃や従業員への補償などで、たった1~2か月も営業できなければ厳しいのだということを知り、コロナ自粛の危機がかなり差し迫っていることを体感しました。

 

ここで今日のテーマですが、

そもそも「自粛のお願い」とはなんでしょうか?

来る日も来る日も「外出自粛」「営業自粛」「社会活動の自粛」と耳にします。。
「コロナからあなたを、あなたの大切な人を守るため」という言葉の裏にある、「命を失いたくなければ自粛しろ」という恐怖メッセージが見え隠れします。それと照らし合わせて人々は自分のビジネス、自分の生活、をどこまで犠牲にするのか、という天秤にかけ、皆腐心していることだと思いますが、そこで諸外国のような休業補償が無きまま、精神論のみで戦わされている、竹槍戦術が日本の政策です。

 

ここで政治の話をするつもりはないのですが、メディアを通じて「国家権力」が国民に「自粛」を「懇願」する、ということの意味。「命令ではなく、お願い。日本人は災害や有事の時でも高貴な人間らしさを保てる人種。その善意に訴えます・・・」みたいなきれいごと並べること。そして、苦渋の選択ののち感染対策としつつも営業を続ける店をメディアは取り上げ続ける。それに反応する一部国民がわざわざボランティアで「自粛警察」と化し、自粛していない会社や店を攻撃する状況。「欲しがりません、勝つまでは」といった空気づくりでしょうか。どう考えても気持ち悪い状況です。

 

しかし、私はこのような状況を作ってしまったのはマスメディアの責任が極めて重いと思っています。一部の政治家や利権を持った人々に流れるお金を断ち切らず、国民には負担を強いるが補償はしない(お金は出さない)という頑ななまでの政策。国家権力を悪用した政府の暴走に対抗すべきは、伝統的にはマスメディアの、ジャーナリズムの一番大切な存在価値だと考えています。それが今は、ジャーナリズムのなきメディアが何の方針も権力への監視もなく、日本政府の右往左往する政策の伝達マンになっていることが問題の根幹です。

 

今はネットメディアで有識者だけでなく、一般の方々がそういった問題点を指摘できる時代になりました。もちろんそこには正確ではない情報も含まれていたり、表現が乱暴なもの、過度なバッシングなどの問題が山積していること確かです。しかしながら、その中にマスメディアでは語られない情報や、独自のメディア的切り口が存在していることの価値が非常に大きく感じます。それが大きな世論となるときには、ネットが無かった時代とは比べ物にならないほどの速さと声の力を持つと思っています。これに1番恐れているのは政治家たちでしょう。コロナ関連の政府批判封じ込めに、数十億円の税金が投入されていると言われているのも、それを紛れもなく表していると思います。

 

周りの国に比べ、日本は久しく平和だったから、何も大きな社会的危機で自分個人の生活が直接危ぶまれることが長いことなかったから、いつしかジャーナリズムを風化させ、民主主義の本質(民主主義は与えられるものではなく国民の手で勝ち取り維持するものであること)を鈍らせてしまったのでしょう。このコロナをきっかけに、より多くの人が政治を自分事化し、国家権力を監視しけん制するメディアのチェック機能を国民一人一人が手にしていくべきかと思います。そして、今回のような理不尽と同調圧力を蔓延らせない力を持っていくべきと思いました。

 

 

 

 

Zoom飲み(オンライン飲み)と飲み会の本質

会社のチームでZoom飲みをやってみました。

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ちょうどこの4月で退社するメンバーがいたのですが、だれも予測しえないこんなコロナパニックになってしまって、あれよあれよで、退社する日が近づいてしまったため、急遽Zoomによるオンライン送別会ということにしました。(Zoomにした理由は写真のように、参加者全員一斉表示できるからです。)

 

みなさん育児や家の用事があるので開始時間は21時!各自、自分の酒、つまみを持参してPCの前に集まって、なんとなく自由参加自由退出な雰囲気で2時間強やりました。

 

総勢15人が一つの画面で一堂に集うってことで、みんなが一度にしゃべったらそりゃひっちゃかめっちゃかですよねwww

ってことで、やはりモデレーターは必須になると思いました。リアルの飲み会ではそれぞれ思いのままに、座席の位置ごとに2~5人くらいに分かれて別のトピックで話しをすることなりますからね。

ただ、これに関しては今後、そんなニーズに合わせたアップデート、もしくは新しいアプリが開発されるでしょう。バーチャルな飲み会専用アプリみたいな感じで、テーブルごとの小グループとか、席の移動とか。まぁコロナ後にどれだけのニーズがあるかは不明ですが。

 

逆に、これを機に、オンラインでは置き換えられない部分を考えるきっかけになりました。それはつまりリアル飲み会の本質。

 

それは、一言でいうとちょっと小難しいですが、密接なコミュニケーション(広義の意味での)によって得られる圧倒的な情報量だと思います。なので、飲み会の本質は、そういったアナログなダイレクトレスポンスを互いに交換し合う、肌で感じあうことかと思います。(やはり今のコロナパニックは、そういった人間らしさを片っ端から否定するような、人間に対しての挑戦状ですね。)

 

あともっとシンプルなことで言うと、この酒うまいよねー、一口飲んでみて!とか、このつまみ、マジうまくないですか!?みたいな一体感。ビジネス会食の意味合いもそうですが、普段昼間の会議室ではお互いにバリアを張り合ってるような状態から、夜居酒屋で距離感も近く、うまいもの食ってうまい酒飲んで、互いの心の距離を近づけるからこそ、本音の話だったり、一緒にビジネスをしたい相手なのかどうか、などが見えてくることかと思いますので。

 

もともと気の知れた仲間同士であれば問題ないですが、そういったビジネス会食とかには、到底届かないような気がしました。

耳の可処分時間

Amazonオーディオブック、Audible始めてみました。

 

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まず1冊目は、ホリエモンさんの『ハッタリの流儀』にしました。

本のレビューなどはまた別の機会にするとして、今回は、オーディオブック自体の感想です。

 

どうしても今まで、読書やメルマガ、ネットでの調べものやYoutubeなど、時間を作って情報をインプットする時間はできるだけ効率よくしようとしてきたもののやはり限界がありますね。

 

在宅勤務中、育児や家事を行っている中で、沢山のすきま時間ができています。

とくに、洗濯や洗い物をやっている最中、車の運転中などは、昔の時代だったら、ラジオなどだったかもしれませんが、今は、そんな時間に、自分から欲しい情報を得られる時代になりましたね。Voicyなどのサブスクの音声情報発信サービスもかなり増えてきています。

 

私は今まで、読みたい本が日常の中で多すぎて消化しきれなかったので、こういった「片手間すきま時間」が活用できるのはものすごくいいですね。

 

これまでの世の中の大きな流れとしては、オンライン上の記事やその他読み物から、

Youtubeや、Netflixなどの動画サービスへと人々のエンタメ消費行動が変容を遂げています。

 

そもそもインターネットというメディアは、自分から情報を取りに行く、能動的なメディアとして成り立ってきましたが、人々のメディア接触時間がスマホに飲み込まれている中、能動的に情報をとりに行く時間が飽和しています。ただ逆に、人間が100%スマホに向き合えない時間というものが生活の中には実はかなりあり、それが今「耳の可処分時間」として注目され、活用する流れになっているんですね。

実はもともとラジオってそういうメディアなんですけどね。。。 

 

いずれにせよ今後も益々、耳の可処分時間を充実させてくれるコンテンツが増えてくるでしょう。

本だけでなく、トークセッションや、討論番組などはもちろんですが、音声ブロガーたちも、YouTuberとはまた違った形でコンテンツの魅力を伝える企画が出てくる気がしています。