エンタメ系Pのネタ帳

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「自粛のお願い」とメディア

私が行きつけにしている浅草橋の居酒屋で、通常は毎週最低1回は通っている行きつけがあります。かれこれ行き始めて7~8年になりますが、仕事帰りにふらっと晩飯がてら。会社の人間や友人など連れていくこともありますが、基本は一人で行って、年の近い店長や、バイトの子たちと談笑をする、居心地のいい場所です。

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私の会社は、世間一般の会社より一足早く感染者が出たため、2月の後半から在宅勤務になってしまい、今現在かれこれ2か月以上も続いています。その間、もちろん飲みに行くこともままならず、だいぶ長いことお気に入りの店を放置してしまっていたので、久々にLINEで店長に連絡してみました。

 

すると、、、
「一旦休業のつもりで店を閉めましたが、もう二度と開かないと思います・・・」とのメッセージ。。

「会社自体も残せるかの瀬戸際。正直しんどいです。。。」とのこと。

 

衝撃でした。。。志村けんさんが亡くなった時と似た感覚、、コロナの危機がすぐそこまできたか、という感じですね。

私はそれまではコロナのせいでつぶれる店や会社があるとということは聞いていたものの、きっと今の段階でつぶれるということは、コロナ関係なく元々厳しい財政状況にあったのでは?ということを薄々思っていました。しかしながら、私の行きつけのこの店は、常に満席で料理もすべておいしく、控えめに言ったとしても繁盛していましたので、こんな店でも真面目に政府の方針にしたがって「自粛」をしてしまうと、家賃や従業員への補償などで、たった1~2か月も営業できなければ厳しいのだということを知り、コロナ自粛の危機がかなり差し迫っていることを体感しました。

 

ここで今日のテーマですが、

そもそも「自粛のお願い」とはなんでしょうか?

来る日も来る日も「外出自粛」「営業自粛」「社会活動の自粛」と耳にします。。
「コロナからあなたを、あなたの大切な人を守るため」という言葉の裏にある、「命を失いたくなければ自粛しろ」という恐怖メッセージが見え隠れします。それと照らし合わせて人々は自分のビジネス、自分の生活、をどこまで犠牲にするのか、という天秤にかけ、皆腐心していることだと思いますが、そこで諸外国のような休業補償が無きまま、精神論のみで戦わされている、竹槍戦術が日本の政策です。

 

ここで政治の話をするつもりはないのですが、メディアを通じて「国家権力」が国民に「自粛」を「懇願」する、ということの意味。「命令ではなく、お願い。日本人は災害や有事の時でも高貴な人間らしさを保てる人種。その善意に訴えます・・・」みたいなきれいごと並べること。そして、苦渋の選択ののち感染対策としつつも営業を続ける店をメディアは取り上げ続ける。それに反応する一部国民がわざわざボランティアで「自粛警察」と化し、自粛していない会社や店を攻撃する状況。「欲しがりません、勝つまでは」といった空気づくりでしょうか。どう考えても気持ち悪い状況です。

 

しかし、私はこのような状況を作ってしまったのはマスメディアの責任が極めて重いと思っています。一部の政治家や利権を持った人々に流れるお金を断ち切らず、国民には負担を強いるが補償はしない(お金は出さない)という頑ななまでの政策。国家権力を悪用した政府の暴走に対抗すべきは、伝統的にはマスメディアの、ジャーナリズムの一番大切な存在価値だと考えています。それが今は、ジャーナリズムのなきメディアが何の方針も権力への監視もなく、日本政府の右往左往する政策の伝達マンになっていることが問題の根幹です。

 

今はネットメディアで有識者だけでなく、一般の方々がそういった問題点を指摘できる時代になりました。もちろんそこには正確ではない情報も含まれていたり、表現が乱暴なもの、過度なバッシングなどの問題が山積していること確かです。しかしながら、その中にマスメディアでは語られない情報や、独自のメディア的切り口が存在していることの価値が非常に大きく感じます。それが大きな世論となるときには、ネットが無かった時代とは比べ物にならないほどの速さと声の力を持つと思っています。これに1番恐れているのは政治家たちでしょう。コロナ関連の政府批判封じ込めに、数十億円の税金が投入されていると言われているのも、それを紛れもなく表していると思います。

 

周りの国に比べ、日本は久しく平和だったから、何も大きな社会的危機で自分個人の生活が直接危ぶまれることが長いことなかったから、いつしかジャーナリズムを風化させ、民主主義の本質(民主主義は与えられるものではなく国民の手で勝ち取り維持するものであること)を鈍らせてしまったのでしょう。このコロナをきっかけに、より多くの人が政治を自分事化し、国家権力を監視しけん制するメディアのチェック機能を国民一人一人が手にしていくべきかと思います。そして、今回のような理不尽と同調圧力を蔓延らせない力を持っていくべきと思いました。